ヒロニューのブログ

人生を充実させたいアラフィフ独身おじさんのつぶやきです。

まだ行ける!中年の危機から抜け出すヒント(仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える)

 

 タイトルに惹かれて買ってみた。

読んでみると冒頭に「自分のことが書かれている」と思ったが、第2章からは引用が難しく何度も読み返しながら進んでいった感じ。それでも最後は、より良く生きていく上で意識したいヒントが、いくつか提案されていて参考になった。いい読書だった。

 

「自分のことが書かれている」と思った点は「自分がない」というところ。前にもブログに書いたことが有るけれど、「何が好き」で「何が嫌い」なのか?特に「好き」な方。一般的に見てとか、そっちを選んだ方がいいと思われるだろうなという第三者の意識が働いて本当に自分が好きというものが分からなくなっている。

この本によると、ハングリーモチベーションが終焉している現代社会に生まれ、何不自由なく育ってきた人は主体性が無く「自分が無い」ことに悩むそうだ。生きている実感が無く、最近良く聞く「新型うつ」の原因にもなっているらしい。

 

この後、働く(仕事)とは?について色々なことが書かれていて、古代ギリシャでは労働は軽蔑されていたはなしからキリスト教の天職のはなしへと働くことに対する人間の態度の変化が書かれていた。現代社会も長い目で見ると今後変わりゆく思想(ルール)のひとつで動いているに過ぎないというのは目から鱗が落ちた。労働は美徳だというのもひとつの考えに過ぎない。

 

では、どうすればもっとより良く生きられるのか?

「能動的」に「芸術」に接することが良いらしい。芸術なんて言われても難しいが料理を丁寧に作るというのもいいらしい。

いくつか具体提案がされていたが、特に面白いなと思ったのが、あまり事前に計画せず「即興」で日常を味わうというところ。つまるところ「頭でっかち」になるなということか?これは昔読んだ養老孟子氏の「バカの壁」にもあった「身体第一主義」に通ずるところがあるなと思えた。

 

わたくし「中年の危機」という年代だが、まだ行ける!
ちょっと無計画でやってみよう。

ありがとうございました。

自分にも近づいてきた両親のことお墓のこと

早いもので実家に帰省していたのが先週のことか。

最終日、実家から東京に帰る際に親父から「お墓のこと」を話された。

二人(父母)が死んだら、お寺に相談して「お墓は閉じてもらっていい」とのこと。縮小して東京で永代供養にするなり好きにしていいとのことだった。

自分は長男なので、いつかは田舎に戻り「墓守」をしなければなぁ~と漠然に考えていたが、話を聞いて墓を壊す具体的なイメージがとても悲しく思われた。特に我が家は親父が本家から墓を移して立て直していて子供のころからお墓参りには良く行っていた。墓に対して他の人より思い入れが強いと思う。

親父は今年で72となった。今のところ元気だが、ここ最近は痩せて老化が目立つようになっている。わしが思う以上に先のことを考えていたんだろうなと思う。

 

東京で仕事していると地方から出てきている人と一緒になることが多い。北は北海道から九州出身の人まで。皆が皆長男ではないと思うけれど幾人かは将来の「墓守」候補だろう。どういう考えでいるのかなと思う。

そもそも墓なんてどうでもよいと考えているのか?ゆくゆくは帰ろうと計画しているのか?

それ以上に親の介護の方が深刻か?(幸い自分の両親は今のところ健康だが)

 

やっぱり地に足を付けて人生をしっかり歩んでいる人は、お墓をしっかり面倒見ているんだろうなと思える。半面、今の時代、生まれた場所近くで仕事を見つけ一生を終えられるのか?とも思える。

ご先祖様は大切だけれども。三代前は分かるけれどそれより前は?とか理屈を考えると色々出てくる。敬う気持ちは大切だけれどな。

 

なんか45を前にして色々と直面することが見えてきた。今までは見ないようにしていただけなのかも知れないが。

特に独身の地方出身長男はどう考えているのか?
今後雑談で機会があれば聞いてサンプリングしてみようかな。まあそこまでディープな話が出来るかどうかだけれど。

 

健全な明るい未来像(星を継ぐもの)

 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 7年ぶりに読み直した。細かい内容を忘れていたので初めて読んだときの様にワクワクしながらページを進めることができた。2009年度SF読者投票第一位との帯。確かに二回目でも面白い。

内容は2027年、月面で宇宙服に身を包まれた遺体が発見される。驚くべきことにその遺体は死後五万年以上経っているものであった!

 

え~おいおい!何それ~て感じでしょ。

こういう感じのワクワクする謎がこの後も何度も出てくるので読書が止まらなくなってしまう。

本書はJ・P・ホーガンていう人が今から40年前の1977年に書いた処女作らしいが良く出来ている。すでにネット予約みたいな描写があったりして古さを感じさせない。

主人公のハント博士が色々な組織を渡り歩き総合的に謎を解いていく。専門用語やバックボーンがしっかりしているので安っぽさが無いし古くない。

この人の作品は健全な明るい未来を感じられるな~。

「星を継ぐもの」てタイトルもイイな。

たとえ二回目でも初めてとは大違い

5月末に駆り出された現場に早くも再び駆り出された。「やだな~」と思っていたけれど行ってみて気付いたことが有る。

あれだけ緊張して苦手な思いがあったのに、二度目になると、それが「結構薄らいでいた」ということ。あれだけ苦手意識があった都心のスタイリッシュな構造物、さっさと歩いていくオシャレな都会人達が「そうでもない」と感じられた。

「慣れ」というものは凄い。たとえ二回目でも初めてとは大違いだと思った。

 

色々と悩んでいる新入社員達にも参考になるのではないか?社会人になって初めての環境に戸惑って「仕事辞めたい~」と抵抗が生じるのは自然なこと。先輩たちが凄い環境で普通に仕事しているのを見て「あぁ・・・自分には無理だ~」と、いう気持ちは少しし待った。「先輩が凄い」以前に、彼らは単に「慣れているだけ」なのかもしれない。だから自分も少し我慢して慣らしてみてはどうか?

 

しばらく経っても同じ気持ちなら動けばいい。そう思う。

自分の仕事辞めたい病にもそう思う。自分を客観的に見るべし。

ストレスレスの日々

5月末の山場を越えて仕事が一段落。平和な日々が続いている。こうストレスレス(舌を噛みそう)になると仕事辞めたい病の症状がどこかに行ってしまう。将来を考えると、きっと嫌な目に遭いそうなんだが...。そう思えないときは無理に考えないでおこうか。イイときはイイのだ。

念願の飛行するゼロ戦を見られました

この週末は風邪で体調がいまいち。
それでも「チケットに8000円払ったしな~」と、少し遅めにレッドブルエアレース2017会場の幕張海浜公園へ向かう。

幸いなことに、会場の砂浜は想像したより混んで無く、適度な距離を保った位置で皆が空を仰いでいた。エアレースには、そんなに興味が無かったが、間近な距離を飛行機がアクロバティックに飛行する姿を見ていると自然と立って応援していた。

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14機の飛行機がゲートを通過して予選終了。レース目的の人たちは、ちらほらと帰り支度を始めていた。

 

こっちはこれからがメインなんだよ・・・。西の方に目をこらすと小さな機影が見える。

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あの翼の形はゼロ戦だ・・・。

 

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やっぱり整備が大変なのか信頼性の問題か、ゼロ戦は脚を出しっぱなしで飛行していた。(2日目は収納していた模様。日による違いをアピールしたかったのかな?)

派手なエアレース機とは異なり深緑のカラーリングが重厚さを醸し出す。

 

ブロロロロロ・・・・

 

思ったより優しいエンジン音。

あのゼロ戦が飛行する姿を肉眼で見られるなんて・・・なんだか泣けてくる。

 

ゼロ戦は会場を二周旋回して西に帰って行った。夕日が良く似合う。

 

夢を見ているようだった。

東京湾ゼロ戦が飛行するのは実に70年以上振りなのだそうだ。戦時中は、これが編隊を組んで飛んでいたんだろうなとか想像する。それが全て飛べなくなった。撃ち落とされたり廃棄されたんだろう。改めて日本は敗戦国だったことを思い出す。それが外国資本のエアレースのイベントとして帰って来るなんて、なんか色々考えさせられる。しんみり。

 

帰るころには体調が悪かったことを忘れるくらいだった。来てよかったす。

とてもとても貴重な体験となった。

関係者の皆さんありがとうございました。感謝。

手綱握り直し

会議、応援対応、夜間対応。都合の良い人、やっつけ担当、スキマ産業係か。最近露骨になってきたなおい。

今日は夜間対応明けでお休みね。お昼コンビニへ食べ物を買いに出る。静かな平日の午後、まだ本気出していない日差しと風に吹かれているとまだ何とかいけるんじゃないか?と思える。一番ダメなのは手綱を離し自暴自棄になること。どうすればよいのか。その逆をやるのがよいのだろう。最高とは行かなくとも、その時その時のベストな選択で歩んでいかなきゃな。手綱握り直し。

やっぱり都会は嫌い

会社辞めたい病再発か?

先週末は応援で都心の現場へ駆り出された。東京に住んでは居るものの行動エリアは郊外なので都心は苦手だ。明らかに違う。巨大なビルのスタイリッシュな空間に居るとソワソワして落ち着かない。今回行った現場のビルも綺麗すぎて居心地が悪く腹具合が悪くなる始末。「ここは俺に居る場所じゃない。」改めて都会は苦手なんだということを思い知らされた。仕事辞めてえ~。

しかしタイミングが悪いことに資格取得に会社が色々やってくれている。しばらくは辞められない。

占いでは今年は静観しておいた方がいいと言われたが、どうなのよ?動いちゃうかも知んねーよ。

ただ、先日読んだ「反応しない練習」のお陰で客観的に自分を見られている気がする。今のところ何とか衝動は抑えられてはいる。

 

うんこは出るときには出る。

自分を知ることが始まりか

占い師にみてもらった。支柱推命から行くと一白水星。性格は八方美人で臨機応変がきき頑固で熱しやすく冷めやすいという訳のわからない自己矛盾を孕むものだった。星の季節は夏と冬のみで春と秋を一切含まない極端なものだった。名前の画数診断では先祖の情はあるものの名前との組み合わせは破滅だった。女性にとって掴みにくい性格なのだそうだ。

朝の占いとか一切見ない自分だが妙に納得してしまった。孤独も受け入れられそうだ。そういう星で納得するのもどうかと思うがひとつの情報として覚えておこう。なんか当たってるんだよな〜。自分を知ることが始まりか。確かに軽くなる。

占い師にでも見てもらおうか?

いつもはそうは思わないけれど、帰省直後の休日は孤独感が強くなる。俺は独りで何をしているのか?何をしようとしているのか?と。

思えば東京に来て7年。前半の4年は会社の寮だったので孤独感はそんなになかった。3年前寮を出て全く知らない土地に単身やって来た。それでも当時はSNS全盛で、前の会社の仲間や田舎の友達ともつながっている感じがしていた。「これで寂しくない!」小学校の同級生までつながっていた。これからどんな時代になるのか?凄いな!と思っていた。

 

それが最近は、その勢いが衰え、記事を投稿する人も一部の人のみになって来た。自分もほとんど投稿しなくなっている。SNS以前の時代に戻っている気がする。ブログ(前やってるやつね)を書いていても面白く無い。

飲み会の数も減った。帰省時に飲みに行く友達との会話も合わなくなった。メールやLINEでやりとりする女の子もほとんど居なくなった。皆、少しずつ変化していっている。それぞれの生活を生きているのだろう。自分は止まっているのか?後ろを見ているのか?寂しい。

 

何か新しいことを初めて新しい仲間を作ってと思うけれど中々動けない。歳をとると経験則が邪魔をしているのか昔より腰が重くなっている。テニスもな~。今年からMatchi.comをやってるけれど登録しているだけでやる気がしない。婚活イベントも1年半は行っていない。休日はテレビを見ているだけ。ネットサーフィンしているだけ。ただただ歳を重ねるだけ。結婚して子供作って親孝行しなければと思うけれど何からしたものか?行き詰っている。このまま東京に居るのか?この仕事でやっていけるのか?どうしたものか?自分がどうしたものか?

 

占い師にでも見てもらおうか?44歳おじさんがそんなことを考えている。

 

 

都合のイイ待ち人間になってない?

この会社に来て、まず役に立てるのが嬉しかった。スキルが無い自分でもせめてもと。

7年。何だか都合のイイ待ち人間になってないか?

 

自分は何がしたいのか、どうなりたいのか。再考の時期。

 

新期の会議に出て

すきま時間にブログを更新。

 

昨日は久々に本部の会議に出席した。

4月から新しい体制となり本部の人が代わっている。会議室に行く前にあいさつが必要だ。44にもなって「やだな~」と思っている自分。

 

若いころは、歳を重ねると色々こなせる大人に自動的に成れると思っていたが、この歳になると、そうでもないと思えるようになった。各々の自己鍛錬や経験が必要なのだ。どう歳を重ねていくが大切なんだなぁ。まあ自己嫌悪は「敵」なので、あまり考えない様にしよ。結局あいさつはしなくて済んだ。

 

会議も何とか乗り越えた。(今後色々フォローが厳しくなりそうだが)

会社変わって8年目になるけれど馴染むのは難しいね。これもこれで仕方ないけれどな。

 

ビルを出てホッ。どこかに飲みに行きたい気分だったが「今から飲みに行く?」と誘う人が居ない。

改めて「孤独だな~」と感じた。

 

こちらも何かしていかないと作られないものだな。

確かに頭がスッキリする本

 

 はてなブックマークで高評価だったので購入してみた。

読むと、いつの間にか頭がスッキリしている。すばらしい本だ。2017年3月で第15刷発行(2015年7月第1刷発行)が良書であることを物語ってる。

 

このブログの記事からも分かるように、自分は何かと悩みが多い中年である。落ち込むと啓もう書とか自己啓発本を買って乗り越えようとしている。何冊も買って読んでいるはずなんだがいつもモヤモヤ。夢を持って生きろとか、こういう行動で人生を切り開けとか、書いていることは分かるのだけれど、どこかしっくり入ってこないことが多い。

そんな中、この本を購入。「なるほど~」とすーっと心に入ってくる言葉が多かった。

 

この本の面白いところはアプローチの方向かな。「悩み」に対してどう行動するかという外に向かうのではなく、その時どう感じているか?という内(心の反応)に焦点をむけているところ。

そもそも「人生には悩み(苦しみ)がある」ということを前提として受け入れ、そこから自分がどう反応しているか?というところに焦点を当てている。自分の心の反応を客観的に見ていくことで心を鎮め、「ムダな反応」をしないように気持ちをコントロールしていく流れ。

 

それらをブッダの教えから説いている。といっても宗教色はあまり無く、どちらかというとカラダを意識した科学的な感じが強い。(マインドフルネス)

 

良く知られるが人間は「七つの欲求」で突き動かされており、それらを求め続ける「満たされない心」が常にある。この心の状態をきちんと見ることで「ムダな反応」から抜け出す。

自分は寝る前に日記を書いている。思い返すと、よく最後に「このままでは駄目だ」と書いていた。何度も書いてるもんな~。進歩しねーなと自分に嫌気が指していたが、そもそも心は、そういうものなんだろう(満たされない心)ということが分かって嬉しい。

もう一つのそもそもそういうものなんだろうは世の中。

米国はシリアにミサイルを発射するし、アベノミクスは成功しているのか分からないし、年金がもらえるのか分からないし、地震で死ぬかもしれないし、職場で嫌な人と一緒になるかもしれないし、一生孤独かもしれないし・・・。人が生きていくうえで、問題が無かった時代なんてなかったんだろう。世の中そういうもんなんだろうなとも思えた。そんな先行きが見えない中、人は結婚して家を建てて子供を育てて仕事をしているんだろうな。皆そんな中で頑張っているのだ。

 

自分は「ムダな反応」が多く不安で何もできなかった。そこを気付かされた。

 

ここからは、そもそもそういうものなんだろうという心をそもそもそういうものなんだろうという世の中で、どううまくコントロールしていくかだろうな。 

 

 悩みはまだそこにあるのだけれど頭はスッキリしている。この本の効果だ。ありがとうございました。