送別会と突然の出来事
最近の所感。
人生の節目には何かあるという話。
11月も今日で終わり。
今年、わたしの勤める会社では人員削減として希望退職者を募っていた。
退職期限が11月末日となっており、先々週あたりから「お世話になりましたメール」を見るようになった。いろんな人が辞めていった。まあそうかという人、意外な人、同期があっさり辞めて驚いたりもした。自分は残ることを選んだが、辞めるとしていたらメールを出したのかなとか考えたりしていた。
そんな中、うちの事務所にも一人退職する人がいた。定年が近いし早期退職した方が好条件と判断したのだろう。
それにしても送別会の案内が来ないな~と思っていたら直属の後輩は送別会を企画しないという。確かにあまり仲が良さそうでは無いけれど流石にそれは冷たいだろうと送別会の幹事をかって出た。考えは人それぞれだが、いくら仲が悪いとは言え一人の会社生活最後の日に何もしないというのは悲しい。
どこかで自分の仕事最終日を想像しているのかも知れない。
開催日を決め、お店を予約、送別の品を準備し、お花屋さんで花束を予約した。
開催2日前の午前。仕事の合間に送別会の集金を始めていた中、突然の腹痛に見舞われる。イタタタ
なぜか下痢になる。
何度もトイレへ行くも胃の辺りが「グワァァァ」と痛むのが治まらない。脂汗も出てきて仕事が手につかなくなっていた。
「これはただの下痢じゃないな・・・」
昼前に早退することにする。
帰り道、見つけた病院へ駆け込むも受付の女性から「すみません。本日先生の体調が悪くて診察出来ません。」と、診察を断られてしまった。「道の反対側に〇〇病院がありますのでそちらへ行ってください。」と別の病院を紹介してくれた。
何だよ~体調不良はこっちだよ~
仕方なくヨロヨロと道を渡って紹介された〇〇病院へ行ってみる。
入ろうとすると玄関に「午前中の診察は終了しました」との看板が出ていた。
まじか~診てくれないじゃん~
次の病院を探す気力が出ず、その間も周期的に腹痛に襲われていたので一旦家に帰ることにする。
部屋のドアを開けるなり前かがみで服を床に脱ぎ捨てながら「うぅぅぅ~」とベッドに倒れこんだ。
痛みが続くと自力で病院へ行けないということがよく分かる。こんな感じ初めてだ。
その後、寝てはトイレ、寝てはトイレ、と何度も往復し嘔吐もした。
幸い2時間程すると少し腹痛が治まってきた。先ほど紹介された〇〇病院へ電話すると診てもらえそうなので直ぐに行く。
ここの病院では問診票を渡した後、外の隔離ブースへ促される。
「受診の時に鳴りますのでしばらくお待ちください。」と変なトランシーバーみたいなものを渡された。隔離ブースで10分ほど経ったころトランシーバーが鳴ったので建物へ入る。建物の中でも隔離した小部屋へ通されフェイスシールドをした完全装備の先生に診察をしてもらった。
自分の中で新型コロナウイルスはすっかり終息したものだと思っていたが・・・病院では今でもコロナと対峙していることを知った。ひょっとしたらわたしの症状は・・・。最初の病院が断ったのも先生が体調悪いなんてウソでコロナ対応が面倒臭いからでは?などと勘ぐってしまった。
診断結果は「腸炎」だった。
胃がグァァァァと痛くなる症状からもっと何かの病気だろうと思っていたがあっさりしたものだった。
翌日、ウイルス性の感染病では無く仕事は出来そうなので出社した。
腹痛は大分治まったが、まだ食欲は無く経口補水液メイン。お昼はゼリー。夜は素うどんとおかゆで済ます。
そして送別会当日29日の金曜日を迎える。
カロリーメイトとバナナは食べられるようになっていたがアルコールはもちろん普通の料理もまだ食べられないだろう。
何も飲み食いできないやつが送別会に居ても気を遣わせるだけじゃないか?
誰かに幹事を変わってもらおうか?と悩む。
でも、ここまで準備したのは自分だし・・・居るだけでもいいんじゃないか・・・と、飲み食いできなくとも送別会には出ることにした。
結果、無事終えることができた。
ホットウーロン茶とおかず少々で、そんなに浮かず何とか幹事をこなすことが出来た。
最後は退職者にプレゼントと花束を渡して喜んでもらえたのは良かったと思う。
そういえばメンタル不調による3か月の休職から復職したのが丁度2年前の11月29日だった。
たかが送別会と腸炎の話だけれど、何か節目を感じた数日だった。
これからも良い方向に向かいますように。