大河ドラマ「晴天を衝け」では渋沢栄一がパリに行っている間に幕府が無くなってしまい、その辺りが全然描かれないまま明治になってしまった。
「家康の再来」とまで言われながら将軍になった慶喜は当時何を考え、なぜいとも簡単に幕府を終わらせてしまったのか?そこが知りたくて読んでみた。
今回読んで分かったことは、慶喜は幕府からも浮いていて孤独な存在であったこと。
慶喜の出身は徳川御三家のひとつ水戸家。物語の冒頭に書かれているが、御三家と言われつつも水戸は他の二つ(尾張、紀州)から一つ下に見られており、それまで将軍を輩出したことは無かった。
更に、水戸で盛んな水戸学と呼ばれる尊王攘夷運動の元になった思想は、将軍より天皇を尊ぶため、幕臣からは危険視されていた。
よって、そんなバックボーンを持った慶喜は順風満帆に皆から押し上げられた将軍ではなく、特異な存在だった。
だからこそ一歩下がって俯瞰した冷めた目で物事を見られたのかと思える。
大政奉還で文句を言わず、長州征伐に行かず、鳥羽伏見の戦いで大阪城から家臣を置き去りにして江戸へ逃げた。
このかっこ悪く良く分からない慶喜の行動は当時日本を大きな内乱にしなかった。
これのお陰で多くの命が救われ、外国の介入を避けたのは確かだ。
三百年続いた権力を自ら返上する王様って居るか?これは世界的にも稀なすごいことだろう。
以前より慶喜が好きになったかな。